いくつになっても、自分を省みることを忘れない
「先週70過ぎた母親から急にご飯に誘われて、行ったら『お母さん、変わってるから、小さい頃、気苦労かけたのね。ごめんね』って突然謝られたの。話聞いたら、おかしくて、笑っちゃった」
40代の友達から、興味深い話を聞いた。
彼女は、70代の両親と妹さんの4人家族。
彼女の母親は、片田舎のムラ社会に住みながら、趣味でアウトドアを楽しみ、時に全国に足を運ぶ等、アクティブな方。
田舎には、アクティブな人は少ない。
母親は、どちらかと言えば、その地域では浮いている。
彼女の妹さんは、10代の頃、母親が地域で浮いていることに、コンプレックスを抱いていた。
中学校で友達と喧嘩した際に、友達から「あなたのお母さん変わってるから」と母親のことを切り出され、深く傷ついた。
それに加えて、思春期というデリケートな時期もあり、妹さんは母親に反抗した。
20年以上経った今、妹さんも母親になり、母親の目線で物事を考えるようになった。
そして「今なら言える」と、反抗期だった自分と、母親が変わり者ゆえに傷ついた思い出を、母親に打ち明けた。
母親は、自分が変わり者とは自覚していたものの、それが娘を傷つけている、とは思いもしなかった。
ゆえに、妹さんの話を聞いて、ショックを受けた。
さらに、妹さんは「私は次女だからまだしも、お姉ちゃんはきっともっと苦労したと思うよ」と母親に告げた。
母親は「それは大変!」と、友達を呼び出し、突然の謝罪、その件を特に気にしていなかった友達は、面食らった、とのことだった。
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人は歳を取ると、自分の非を認めなくなる。
家族や上司、周りの年上も、そういう人が多い。
経験ゆえの自信と、一方で加齢ゆえの衰退。
自分を支えるものが、行動力や判断力といった「今の自分が持つもの」から、昔取った杵柄に変わっていく。
それはやむを得ないことだと思っていた。
反省と謝罪ができる、そんな大人もいるんだなぁ。
自分が忘れなければ、いくつになっても、自分を省みることはできる。
変なプライドや自負でブクブク太らぬよう、いつまでも自省できる人でありたいなぁと思う今日この頃です。