ライターに必要なものって何だ。

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「人が歩む人生の物語を書きたい」と、文章教室に通い始めた。
読者として、小説やエッセイ、対談記事等を読む中で、「こんな風に書きたい」とライターの視点から思うものの、いざ書こうと思うと書けない。語彙も表現力とない。そして何よりも場数が足りない。その練習の場が欲しい、と、とある文章教室に飛び込んだ。

メンバーは私を含めて6人。私以外は、長年随筆を書き続けてきた、近所在住の60歳以上のおばあさん達。生きてきた世代がまるで違う中に、ぽつんとアウェーな私1人。

生きてきた世代も経験値も違う方に囲まれていて思ったこと。
小手先のスキルだけじゃ、人の心に残る良い文章は書けないのではないか?という問い。

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教室の中に、70代後半の女性がいる。
この中で唯一、太平洋戦争を経験した方。
彼女が描いた、縁故疎開の思い出を題材にしたエッセイに私は感銘を受けた。

その当時の記憶が鮮明なことにも驚きだが、何よりも驚いたのは、そのエッセイのテーマが「温かな母親の愛情」であることだ。
縁故疎開で離れて暮らす母親が、自分に会いに来てくれる時に洋服を持って来てくれる。
その洋服にしみ込んだ母親の匂いに安心感を感じる子供の頃の彼女。
クラスメイトは、毎日違う洋服を着る彼女をからかうが、彼女はそれをも誇らしく嬉しく思いながら、服を着て学校に通うというエピソード。

戦時下のエッセイ、というと、漫画の『はだしのゲン』を始め、人の死や戦争の悲惨さをメインに描いたものが主流な気がするが、彼女のエッセイには、そうした悲惨さは表には出ていない。
しかし、毎日違う服を着る彼女をからかうクラスメイトの姿等に、戦時下の人々の貧困や生活苦が滲み出ている。
表立って言葉でははっきり書いていないからこそ、差し迫るものがあった。

「このエッセイは、戦時下を生き抜いた、そしてその中でも家族の温かな愛情を受けて育った、彼女にしか書けない」文章教室の先生含め、メンバー全員がその意見で一致する。私も同じくそう感じた。
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ライターに必要なものって何だ。
その1つに、ライター云々は抜きにして、人としての厚み・深み、みたいなものがある気がする。
そんな文章教室1日目。

2日目の教室が迫る。ネタがないなりに、私もHP向けの記事やエッセイを書く。2回目の学びは何だろう。わくわくしながらキーボードを打つ。教室のメンバーの方々には、到底経験値や人生の厚みにおいて及ばないが、私は私なりに、何をどう書こうか試行錯誤を繰り返しながら、少しずつ厚みを増していきたいなと思う。