とにかく、描け。ー東村アキコ『かくがくしかじか』全5巻

「合わせる顔がない」
そう思い込んで、長年お会いしていない方がいる。

中学時代にお世話になった、某国際NGOの代表。
人間関係が上手くいかず、日本で、私の住む街で、私の通う中学校の小さな教室の中で、自分の居場所を見つけられなかった中学2年の私は「国際NGOで、貧困に苦しむ発展途上国の子どもたちを救う」と言い出した。
今思えば、単に自分の足元を見る勇気がなかっただけで、発展途上国の子どもたちのことなんてこれっぽっちも考えず、当事者の方々に本当に申し訳なくなるのだが、当時はその考えに固執し、周りの大人たちに豪語していた。
そのNGOの代表の方は、そんな若気の至りな当時の私に、多大な期待を寄せて下さり、
「本当に現場で働きたいなら○○をするといいよ」
「××の分野に興味があるなら、人を紹介するよ」と、彼女の時間と厚意を私に与えて下さり、さらには、私がぽっと出で言い出した募金活動にまで、協力してくださった。

しかし、私は彼女の期待には応えなかった。
国際NGOのこの字も出ないようなドメスティックな業界で、デスクワークの日々を送る。
貧困に苦しむ子どもたちに想いを馳せることもなく、のうのうと東京での生活を謳歌する。

毎年実家に、その代表の方から年賀状が届く。
彼女自身の活動の近況報告と「あなたもご活躍されているかと思います。陰ながら応援いたします」との一文。
毎年その一文を目にする度に「今の私は、当時豪語していた程大そうな人間ではない。私に与えて下さった時間とご厚意に見合うものを、私は差し出せない」という申し訳なさが募る。

期待に応えなかったことへの申し訳なさ。
誰でも少なからず、お世話になった人に対して、抱いたことがあるのではないだろうか。

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前置きが長くなったので、本題へ。
このエピソードを思い出したきっかけは、東村アキコ『かくがくしかじか』だった。
2015年の漫画大賞を受賞した作品である。
この作品は、女版『まんが道』とも言える、東村アキコ自身の自叙伝的作品。
主人公・林明子(=東村アキコ)が、絵画教室の恩師・日高健三先生に出会い、美大に入りモラトリアムに突入、卒業後日高先生の教室を手伝うようになり、会社員をしながら漫画を描き、専業漫画家として活躍するに至るまでの物語。
日高先生は逝去されており、物語は「ねぇ、先生」と先生に語りかける形で進む。

日高先生は、明子に多大な期待を寄せる。
二人展をやろうと持ちかけたり、自身の肺がん発覚の際には「教室を継がんか」と声をかける。
一方、明子は「漫画家になりたいから美大に行きたい」と先生に言えないまま絵画教室に通い続け、
二人展や教室の後継者の件をはぐらかしたまま、先生と関わり続ける。
そして、日高教室を継ぐという選択はせず、日高先生は逝去。
物語の随所に「ごめんね、先生」と、先生への謝罪と見られる語りが入る。

主人公の明子が、何に対して謝罪をしているのか、作品中に明記されているわけではない。
だが、若気の至りゆえに、中途半端にしか絵に向き合えなかった明子の描写と、その物語の中に挿入された「ごめんね、先生」の語りに、どうしても、お世話になった方への期待に応えなかった過去の自分の姿が重なる。
思い出して、共感し、恥ずかしくなり、そして切なくなる。

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会社員と絵画教室とのダブルワークに忙殺される日々からの脱出を図り、明子はいよいよ漫画を描き始める。
漫画を描き始めてからの明子は、一心不乱に、描くことにのめり込んでいく。
その明子の姿は、あたかも過去の中途半端な自分への償い、すなわち「絵に向き合えなかった償いに、漫画に没頭する」ようにも映る。

「とにかく、描け」
絵画教室で日高先生は、幾度となくこう生徒に告げる。
主人公・林明子も、自身の経験から過去を振り返り「絵をやる人間に、モラトリアム期間なんて必要ない」と悟る。

そして、明子は漫画を描く。
現在では、東村アキコは、10人以上のアシスタントを雇い、月間累計100ページを描くこともある、多作の作家として名を挙げている。

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話は冒頭に戻る。

「合わせる顔がない」
お世話になった方の期待に応えなかったことへの償いは、ただ一つ。
「ここで踏ん張る」と決めた世界に骨を埋めることなのではないか、とふと思う。

「しのごの言わずに、とにかくやれやゴルァ‼︎‼︎」とボディーブローを受けたような衝撃を、私に与えた漫画だった。

正月ボケから抜け出したい方、ぜひどうぞ◎